フォード フォーカスといえば、言わずと知れた(かどうかは謎…)WRC参戦中のラリーカーのベース車両です。
かつてはカルロス・サインツやコリン・マクレーの一流ベテランドライバーを擁し、
プジョーとチャンピオン争いを繰り広げていましたが、今年はマルッコ・マーティン、フランソワ・デュバルの
若手ドライバーでチームを熟成させていこうという、近い将来を見据えた体制で戦っています。
このような話は自分自身、フォーカスを購入してから詳しくなってきたことで、世の中では、「フォーカス? なにソレ」
っていう人の方が多いでしょう。
では何故、僕がフォーカスを購入するに至ったか、その辺をちょっとだけお話したいと思います。
その前に、僕のクルマに対する考え方を述べます。
自分がクルマへ明確に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の頃、漫画『サーキットの狼』を読み始めてからです。
小学生にして全巻そろえてしまいましたが、そこから世の中はいわゆる“スーパーカーブーム”に突入します。
その全盛期に自分のアイデンティティーが確立しつつあったわけです。
『サーキットの狼』以降、クルマに関する漫画は最近の『頭文字D』まではほとんど読んでいませんので、その間にどんなものが
流行ったのかよくわかりませんが、ロータス・ヨーロッパという非力なマシンで、ポルシェ・カレラRSやはてはランボルギーニ・カウンタック
などのハイパワーマシン達を軒並み負かしていくという話には、血沸き肉踊ったものです。
結局、三十路も超えてから、『D』でまたそういうスタンスに戻ってきてしまいましたが (^_^ ;
そんなわけで、大排気量・大出力なクルマに対して先天的(?)なアレルギーがあります(笑)。
それでは、フォーカスを購入するまでの僕の車に関する歴史を紐解いてみたいと思います(大袈裟か?)。
小学生の頃から自動車関係の雑誌を読み漁っていたので、かなり詳しくなっていたはずですが、
当時はそういう子供って多かったでしょうね。メカニカルな方にも興味が無いわけでもなかったのですが、
向いていなかったのか、大成しませんでした(笑)。
我が家に初めて自家用車が来たのが僕が小学校5年生の時、中古だと思いますが、いわゆる
TE27のカローラレビンでした。父親は日曜大工好きではありましたが、クルマそのものや、
運転に興味はなかったはずなので、なんでそんなクルマを選んだのかは、故人となってしまった今、
永遠に謎 (^ ^;。
その時は日本の南端に近い田舎で父親の職場の宿舎に住んでいました。父親の職場は歩いて
30秒くらいのところで、休日に洗車しに行く父親について行ったものです←職場の水道を使おうという魂胆。
そういう時、その職場の敷地内で、試しに運転をさせてもらっていました。
小学校5年生からの英才教育です。
藤原拓海よりさらに2年も早いv(^^)v。
ただ惜しむらくは、拓海の親父とウチの親父の差が大きすぎました。
前述の通り、我が父はクルマの運転に関しては、てんで興味がなかったのです。
そんなこんなで関東に戻ってきて、中学校ではラジコンや自転車にはまりまくり、
高校ではご多分に漏れず『バリ伝』にはまり、自分が鈴鹿8耐で優勝している姿を夢に見たり(←バカ)
していましたが、前述の通り、メカがキライなわけではなかったのですが、向いていなかったのか、
大成しませんでした。
その後、大学は文学部でしたから…
まぁ、とにかく乗り物という乗り物は何でも好きでしたね。
大学へ進学後、当然のように自動車運転免許を取得しました。
そして僕が免許を取るのにあわせて我が愛すべき父親は、クルマを購入いたしました。
B12、トラッドサニーです。
全日本ラリー選手権Bクラス参戦用にCA16DEを積んだVRというホットなバージョン
も、ラインナップにはありましたが、我が家のB12のグレードは1500GL、
3速AT、AMラジオ、フロントスピーカー×1…
これだけで、我が父のクルマに対するスタンスがわかろうというものです
(TE27は一体なんだったんだ)。
僕は初めこそガッカリしましたが、結局友人から掠め取ったカーステを付けてみたり
スピーカーを増やしてみたり、2980円くらいのLED式のインチキ臭いタコメーターを付けてみたり
5年ほど乗りましたが、14万km走りました。(そのうちの13万kmは僕だと。あとは姉と父。)
おそらく父は、僕が免許を取ったのを期に、自分のお抱え運転手よろしく都合のいいように
運転させようと思っていたのでしょうが、14万kmのうち、父親を乗せて走ったのは
おそらく2万kmに満たないんじゃないかなぁ。
とにかく、運転するのが楽しくて楽しくて、どこかに出かける時は必ず、クルマでした。
スキーにも、海にも、温泉にも…
今にして思えば、あの3速AT、黒ウレタンバンパーのB12サニーが、
ドライブのすべてを教えてくれたような気がします。
技術云々ではなくて、自分でハンドルを握れば、どこへでも好きなところへ行ける…
そんな楽しさを教えてくれた車でしたね。
大学卒業時には、友人3人で九州を一周したりもしました。
だから、自分の基本はここです。
僕は車の運転が大好きです。
でもそれは、早く走らせるとかうまく走らせるとかってだけでなくて、
楽しく走りたいんです。
その中に早いとか上手いという要素がないわけではありませんが、そればっかりではないんです。
さぁ、いよいよ自分も社会人になりました。
B12に限りない愛着をもっていても、やはり親の車。
自分でクルマを持ちたい!そしてB12よりもカッコイイのを(笑)!
その頃、世の中では、AE86が惜しまれつつFFのAE92に移行し、その後発表された
S13シルビアが超もてはやされていた時代でした。
そして僕は考えました。やっぱシルビアだよな!モテモテだよな!
そして、買いました!初めての自分のクルマ!
S12(中古)!(笑)
S12でも、FJ20を積んだのではなく、CA18エンジンになってからの後期モデルです。
いや、S13を買う資金力が自分にまだ無かったのは確かですが、
正直、S12のデザインは惚れました。
っていうか、世の中の女性が全てS13やプレリュードに靡こうかという世界に
あえてS12(しかもよりマイナーな後期モデル)で挑む自分の姿...そこに孤高の戦士の気高さを感じていたのです(アホ)。
自分の基本その二です。
僕は人と違うクルマが好きです。
「このクルマ、ナニ?」って興味を持たれるとすごく嬉しいです。
でも、興味を持たれるだけではなく、実際乗ってみたりしたときに、
「いいクルマじゃない、これ」とか言われると嬉しさ百倍ですね。
S12は7年くらい乗りました。横浜のとある雨の山道でリヤを出して
フロントを破損してから、純正のいくらなんでもなプアなホイールとタイヤをやめて
ワタナベのホイールを入れました。バナナスポークがお似合いでした。
この頃ミニサーキットにも行きました。
山梨スポーツランド。あの時はC33ローレル(RB20DET)に短いストレートでぶち抜かれたなぁ(恥)。
富士スピードウェイ。サントリーコーナーの切り返しでくるんくるんとか。
車重の割には足りないパワーでしたが、
B12に対してS12は、ドライビングプレジャーを与えてくれた車でした。
購入時2万kmくらいでしたが、下取りに出す時は13万kmを
超えていました。彼女と長崎に行ったりもした、思い出多き車でした。
そして、実家を出て、現在の居住地で一人暮しを始めます。
そこは、大学時代に同じ趣味をもち、しょっちゅうつるんで遊んでいた仲間が多く住んでいる地域でした。
当然また集まる機会が多くなり、趣味の活動も活発になってきました。その趣味は、機材を多く積んで出かけることが多く、
なにかとシルビアでは不便を感じることが多くなりました。
世の中はRV車全盛(まだSUVなんて言葉はありませんでした)。
自分自身はRVや4WDにあこがれたことはないのですが、どの自動車雑誌をみてもその頃はRV/4WD特集ばかり。
でもそのうち自分も感化されてきて、荷物もたくさん積めるし、シルビアもそろそろだし、買い替えを検討し始めたのです。
でも巷を当たり前のように走っているパジェロ、ハイラックスやテラノに食指は動きませんでした。
どうしようか悩んでいる時、新聞にフォードディーラーの広告がはさまっていたのです。
そしてそこにはエクスプローラーの勇姿が!!
アメ車のイメージとしては、乗り心地云々とかよりもデカイ排気量分の維持費が高くつくんじゃないかということでした。
4リッターなんて税金払えないよと思っていたのです。
ところがその広告には“8ナンバーで維持費を安く!”という文字が躍っていました。
そうか、その手があったか!
アウトドアもキライなわけじゃないし、ひとつ検討してみるか…
というか、その瞬間にはもう、心は決まっていたような(笑)。
アメ車、左ハンドル、4リッター…
自分の大排気量大出力アレルギーはどこに行ったやら、もう自分がエクスプローラーを颯爽と
駆っている姿が脳内で再生されていたのです(やっぱりバカだ)。
まぁ、大出力とは言ってもたかだか160ps(トルクは40kg−mありましたが)、気分で乗る車だよなという感じでディーラー廻り。
総額で400万円を超えようかという、自分自身、生涯最大の買い物です。少しでも安くと、いろんな店を廻りました。
結局、当時流行っていた低金利ローンが売り物の正規ディーラーではないショップで購入しました。まぁ、その店が正規ディーラー
(自宅からは離れていましたが)から仕入れて僕に売るだけの話なので、ディーラー車には違いないのですが。
エクスプローラー納車の日は感激もひとしおでした。自分が外車の、左ハンドル車のオーナーになったんですから。ミーハーですね。
でも趣味の集まりにも使い勝手がいいし、視線の高さが年老いた親にも評判が良かったし。それにもまして自分の予想以上に乗り心地がしっかりしてる。
やっぱりふわふわした足を想像していたんですが、リーフスプリング式のリジットアクスルサスペンション(リア)は、
もともとトラックから派生した車だけあってかなりしっかりした乗り味でした。
高速道路のカーブでローリングが気持ち悪いなんてことはほとんど無かったです。
首都高のキツイRのコーナーとかだと結構緊張しましたけど、それは単に重心の高さからのものかな。
自分でも驚いたことは、外車に乗っているという精神的なアドバンテージが、自分の運転にも余裕を持たせてくれたということです。
ヘンな話ですが、隣の車と張り合おうっていう気が起きなくなりましたね。エクスプローラーがマイナーチェンジして230psになった時も、
あわせて右ハンドルに変わったことで、悔しいという気分にはなりませんでした。OHVのラフなエンジン音も結構気に入ってたし。
そこで自分の基本その三です。どうせなら気持ちに余裕を持たせてくれる特別な車に乗りたいですね。
まぁ、人によってはそれがパワーであったり、スタイルであったり、限定車であったり、いろいろなのでしょうが。
エクスプローラーは7年、7万5千km乗りました。本当はまだまだ乗る気だったんですが、
そろそろ先の維持費が心配になってきていたし、嫁からは「小さい車がいい」とリクエストされていたところに
フォーカスST170の登場です。
試乗車がないこの車ですが、運良く広報車に乗ってみる事も出来ました。
乗った瞬間、エクスプローラーに乗り替えて以来忘れていた感覚が蘇りました。
おそらく、その時の僕の顔はニヤけていたでしょう。
そして、ST170は僕の押さえておきたい三つの基本をきっちりと持っているのです。
最新の国産車と比べて特別パワフルなわけではないですが、運転してて楽しいです。
フォーカスなんて街なかでほとんど見ません(喜)。
たまにすれ違うと嬉しい!(壊)
その車格にしては、ちょっと値段がお高めだとは思いますが、ハード面でもソフト面でも、それだけの喜びを与えてくれると思っています。
TE27で生まれて初めて車を運転した感動は死ぬまで忘れないと思います
(余談ですが、TE27のレビンは1975年の1000湖ラリーで優勝してるんですよ)。
自分の免許で初めて運転したB12もきっと忘れられないでしょう、一番長い距離を付き合ってくれた車です。
S12は自分で選んで自分で買った車です。後悔しない買い物ができて良かったです。
(S12も200SXとしてラリーに出場、1988年のコート・ジボワールで優勝してたりします。)
エクスプローラーもまた違った人生の喜びを与えてくれた車でした。たくさんの荷物と、たくさんの仲間と出掛ける楽しさは格別のものでした。
それぞれ、大好きな車でしたが、困ったところもたくさんありましたよ。
フォーカスもおそらく、今後トラブルが起きる可能性はいくらでもあるでしょうが、
でも好きで買った車ですからね、責任と愛情をもって、長く付き合ってやりたいと思っています。